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まるでパンを食らうように

在宅ジャニオタ男子。ドドドドド新規。

濱田崇裕強化月間のまとめをお願いします!

※2月は濱田崇裕さん強化月間でした。グダグダですが、せっかくなのでその時のまとめを改めて。






「すべてのジャニーズJr.にありがとう」。2000年春、嵐のデビューコンサートでの当時高校三年生の櫻井翔さんの言葉だ。
1990年代後半、滝沢秀明の出現からデビューユニットにも負けない人気と勢いだったという群雄割拠のジャ ニーズJr.を制した(という表現が正しいかは置いておいて) のは、嵐のメンバーに選ばれた五人だった。ワー ルドカップバレーの応援ユニットであった嵐は、V6結成当初と同じく期間限定と認識されていたらしいが、 半年の活動を経て「これで完全にデビューしたんだ」と櫻井さんご自身が認識したのがデビューコンサート だったという。嵐メンバーに入らなかった生田斗真さんや風間俊介さんの活躍を知る今となってはあの五人 でよかったんだろうと思えるけれど、きっと当時の多くのジュニアファンにはしこりの残る苦い人事だった のではと推測している。
濱田崇裕さんの所属することになったジャニーズWESTの結成、そこからメンバー増員の流れを見てこの櫻井 さんの言葉を思い出した。ここ数年の関西ジャニーズJr.の台頭は「黄金期」と呼ばれる嵐デビュー直前の ジャニーズJr.に似ているのではと勝手に思っていたが、それもあながち間違いでなかったように思う。誰が 選ばれてもおかしくない。誰が選ばれなくてもおかしくない。誰も選ばれなくてもおかしくない。その環境 で闘っていたここ数年の関西ジャニーズJr.が、その闘いを個人戦でなく団体戦と認識していたのが奇跡に思 える。俺の知らない奇跡の重なりが先輩たちのファンの集まるカウントダウンコンサートでのジャニーズ WESTの華々しい御披露目に繋がったのだろう。
デビューという形でそこから抜けていく者が「すべてのジャニーズJr.」を思うことは、とてつもなく重苦し い。個人的には、本人が後悔なく見切りをつけられたなら辞めるという決断もまったく悪いものではないと 思う。外野がとやかく言うものではない。ファンとしては、応援するアイドルがアイドルでなくなることは きっと寂しいことだ。けれど、勝手に応援しているだけのファンには一人一人の人生は背負えない。あくま でも他人事。自分の夢や待っていてくれるファンの存在以上に現実を見なくてはと思って辞めた人は決断力 があったし、もしかしたらジャニーズで見たものよりも素敵な夢を持って羽ばたいたのかもしれないし、だ いたい人が決めた人の人生なのだから自分にはまったく関係のないことだ。けれど、俺は実際に辞めたこと のある人を担当としているので、ついそちらのことも考えてしまう。
関西ジャニーズの始まりは25年ほど前に遡る。登校拒否児童だった城島茂さんが自分を変えたいと送った一 枚の履歴書。仕事がない時は勝手に上京してまで営業をかけた城島さんのデビューが20年前。初の関西人の みのユニットKinKi Kidsのデビューが17年前。KinKiはCDデビュー前から単独コンサートをするほどの人気 だったにも関わらず、結成からデビューまで五年もの歳月がかかっている。KinKiのデビュー前後からようや く正式に機能し出した関西ジャニーズJr.は関ジャニ∞を輩出した後は、ソロの中山優馬さんのみで大きな変革 ほとんどなかった。ジャニーズで首都圏の外に生活拠点を置きながら全国区の人気を持つのは、未だに本当 に大変なことなんだと思う(松島くん上京おめでとう)。
関西ジャニーズJr.のこの10年を膠着だったと言う人もいるだろう。激動だったと言う人もいるだろう。ど ちらにしても、その10年の中にはたくさんの人のたくさんの人生があった。そのすべての重みを背負えな んてことを、俺みたいな外野の人間からは言えない。そんな無責任なことはできない。なぜならもう俺は愛 すべき濱ちゃんのことを「関西ジュニアの生き残り」ではなく「濱田崇裕」としての愛着を持ってしまって いるからだ。ただ、濱田崇裕にはそのことを忘れずに感謝していられる人であってほしいと願う。そっと胸 の片隅にでも置いておいて、たまにその小箱を抱き締めてほしい。二度と開かなくてもいいその小箱を、濱ちゃんは捨てずに次の歩みに繋げてくれるはずだ。 濱ちゃん、デビューおめでとう。勝手ながら1ヶ月間楽しませてくださってありがとうございました。そし て、これまでどこかで頑張っていた、すべての関西ジャニーズJr.にありがとう。俺のところに濱田崇裕さん を届かせてくれたのは、あなたたちみんなです。
それではお聴きください、関ジャニ∞で「BOY」。